俺の研究対象種は"ウナギ"なので,
研究をするときには常にウナギのことを考えながら行わないといけない.
しかしながら,実際研究している事はウナギそのものを触るのではなくて,
気候,海洋データ解析がメインとなっている.
正直なところ修士研究ではウナギの生態学的な知識をちゃんと理解できていなくて,
ウナギのことを考えられていなかった.
このことが原因で,
目的と方法が実質的にも精神的にも混在してしまっているような修論になってしまったように思う.
もしウナギがしゃべれるなら(そして関西弁なら),
"そんなアホな!"
って突っ込まれそうな,とんちんかんな解析の修論.
そんな反省点があり,
D論ではウナギの生態学的知見をできる限りフォローして,
なるべくウナギの気持ちを汲み取った論文にしたいと考えている.
今まで見てきたシラスの来遊量や親の漁獲量変動の時系列だけを見るのではなくて,
耳石に刻まれる輪紋構造や微量元素の変動,飼育実験,行動実験などの論文を読んでいる.
ふむふむ.少しはウナギの気持ちがわかるようになってきたか...
ただ,それと同時に歯がゆさが増していく.
検証のしようがない...
今までやってきた解析は,
データがネット上に公開されているものも多く,
再度,検証することができた(実際は時間がないのでしないことがほとんどだけど).
でもウナギの飼育実験や輪紋観察は"モノ"がないとできない.
論文で報告されている現象が本当に起きているのか,
この目で確かめたいという気持ちが強くなりつつある.
ウナギの気持ちを理解するためには,生態学的知見をフォローするだけではだめなのではないか,
"モノ"に向き合わないといけないのではないか.
まあ,これはD論の次のステージにとっておこう.
「うなぎの気持ち」というエッセイがかけるかもね、いつか。
返信削除おっかあさん,コメントありがとう!
返信削除今一番ウナギの気持ちを分かっているのは塚本先生でしょう.先生と一緒に研究について議論をしていると,本当にいろいろな視点が俺には欠落していることに気づかされます.
先生にはまだまだ及ばないけれど,先生の持っていない視点を1つ提示できればD論はOKなんじゃないかな.
それが"オリジナリティ"ってやつですな.