2009年8月10日月曜日

シニシズムからの決別

昨日は長崎原爆の日.

長崎で学生生活を送ったこともあって,
この日は特別な気持ちになる.

昨日俺はジムにいっていたので,
原爆が投下された11時2分に間に合うように,ロビーのテレビの前にいった.

既に平和記園での式典が中継されていた.

オバマ大統領の「核兵器を使用した唯一の核保有国として行動する道義的な責任がある」
と言ったプラハ演説を評価した田上市長の挨拶もなかなか良かった.

俺は黙祷という儀式が苦手で,
いつもは一応みんながやってるから,浮かない程度にやっておこうといった感じ.

でも,長崎原爆の黙祷の時には目をつぶっていろいろと考えてしまう.

それは原爆で亡くなった方への弔意もあるが,内証に近い.

普段あまりしないので,
一年に一分ぐらいはこういうことに時間を割きたい.


今回の黙祷ではなぜか,
"シニシズムからの決別"
というフレーズが脳裏をよぎった.

この言葉は
"オバマのすごさ"
を読んだ時に気に入ってメモしたフレーズ.

オバマは演説でよく"シニシズムからの決別"というフレーズを使ったらしい.

シニシズムというのは,
身の回りで起きていること,自分の歩む道が自分を超えた何かによって決定されていると諦めてしまうこと.

自分を超えた何かというのは幻想でしかない.

この幻想はかなり厄介で,
ちゃんと意識していないと,無意識の海の中に身を隠し,次から次に"出来ない言い訳"を生み出してくる.

だから,意志の弱い俺みたいな人は,
文章にしたり,口に出したりして意識していかなくてはいけない.

こんなことを一分考えていました〜.



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